Gen00313 原発討論ー308の2&3です。

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TV朝日の公開討論を見て(1)
 7月30日午前1時30分からの、公開討論は、なかなか興味深いものでした。
 私は、最近ここに来始めたばかりで、おっかなくてしばらくROMでいましたが、
この機会に、感じたことを書いてみます。

 今回は、広瀬隆氏に注目していましたので、まず、氏について。
 彼は、原発の専門家ではなく、素人の研究家というべきでしょう。とにかく情報
収集をよくやっています。それを自分なりに消化して、問題点を引き出そうとして
います。素人のできる限界まで科学的に考えて、安全性に対する疑問をぶつけるこ
とを使命と心得ているようです。
  彼が原発の専門家だとすれば、専門家が見てあれだけ問題点の指摘できる本を出
すことは、「根拠のない不安を煽るもの」として非難に値するでしょう。しかし氏
はどう見ても専門家とは思えません。専門家は、「素人がいい加減なことを書いて
は困る」というのでしょうが、彼の提起する疑問は、素人が十分な情報と考える時
間を与えられれば当然到達するであろう疑問でしょうから、専門家は「嘘つき」よ
ばわりするのではなくきちんとした答えを用意すべきです。
 ちなみに、素人の限界とは、今思い付く限りでは、
  1)専門的知識に基づくきちんとした定量的考察
  2)最先端の情報、最新のデータ
の2つです(他にもあるかも)。これに関しては、専門家を信じる他ないので、く
れぐれも自分の主張に有利なようにねじ曲げることだけはしないで欲しいと思います。
 もう1つは、彼は、「公式発表」なるものを鵜呑みにするタイプではなく、常に
その裏を読んで自分なりの結論をそこから引き出そうとするタイプです。そのため
に、公式発表に基づいて議論しようとする専門家とスレ違い、また(このようなタ
イプの人の常として)「嘘つき」よばわりされてしまいます。常に自分の主張に有
利な方向に解釈しようとすることは問題ですが、公式発表がしばしば不十分な情報
に基づいて(一定の期間内に発表しないわけにはいかないから)なされることも、
しばしば政治的圧力によってねじ曲げられることも、残念ながら事実です。
 広瀬氏は、柳田邦男氏と違い、事実の解明よりは疑問提起に主眼を置いています。
彼の主張のうち、根拠あるものはしかるべく回答し、根拠のないものは根拠なしと
して退けねばなりません。しかし、根拠のないものだけを取り上げて「でたらめば
かり」だと批判するのは筋違いでしょう。
 彼が間違うのは、専門家ではなく、また公式発表を鵜呑みにしないからであって、
非科学的だとか、いい加減だからではないと思います。
 今回は、広瀬氏に注目して見ていたので、ついこの項が長くなってしまいました。
最後に、彼が扇動家あるいは売名家だとすれば、よほど優れた売名家だと思います。
TVでの彼の態度は、扇動あるいは売名を意図する者としては、むしろマイナスと
なるものが少なくなかったからです。

  今回は、かれに興味をもって番与をみたので、ついかれの話が長くなってしまい
ました。かれに好意的過ぎるという、専門家からの意見もあるかもしれませんが、
よくわからないことに対しては、切って捨てるよりもとりあえず認めて置こうとい
うかんがえなもので。

  次に続きます。
                  Martha




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TV朝日の公開討論を見て(2)
 他に感じたことを記します。公開討論の形式、および推進派の姿勢についてが中
心です。

 ○格納容器の安全性について、専門家が定量的評価をしたから安全だという主張
が何度も出てきましたが、間違った理論あるいは根拠に基づいて定量的評価を行え
ば当然誤った結論に到達することは、科学者(自然科学だけではない)であれば誰
もが経験して知っていることです。だから槌田氏などから定量的評価の正当性につ
いて疑問が提起されるのです。「(推進派の)専門家が言うのだから正しい、君達
の疑問には根拠がない」式の一方的な主張は、それぞれ自分の専門分野で多くの「
間違い」を経験してきた彼らには通用しません。中立あるいは原発推進派でない固
体物性、材料科学の専門家を討論に参加させない限り、この点については平行線に
終始するでしょう。

  ○推進派の原子力関係の専門家、反対派は素人研究家という形で討論を行うのは、
基本的に問題があるのではないでしょうか?推進派だけでなく反対派にも、問題と
なる分野(固体物性、材料だけでなく、電力、エネルギー論等)の専門家が参加し
ていなくては片手落ちですし、推進派にも、素人研究家がいていいのではないかと
思います。

 ○広報活動に「相手は何も知らないのだからこんなものでいいだろう」的ないい
加減さが少なからずあることが感じられました。必要以上に安全性を強調したり、
資料相互の間に矛盾があるなど、いい加減な情報をのせていたために、反対派の鋭
い追求にあって推進派がタジタジとなる場面もありました。重大な問題であり、多
くの人の関心を集めているだけに、広報活動は事実を公正に知らせることを心がけ
ないと、事実すら信用してもらえなくなってしまいます。

  ○推進派の一人の専門家が「原子力発電は危険です(取り扱いを誤れば大きな被
害を及ぼしかねない)」(カッコ内は、主旨はともかく、発言をそのまま写した自
信がないものです)という当然の事実を明言したことは、評価すべきです。これを
機会に、不毛な「安全―危険論争」に終止符が打たれ、「危険の程度vs.必要の
程度」という、より現実的な論争に移行することを期待したいものです。

 ○数十年後(つまり石油のない時代)までのエネルギー事情をきちんと紹介する
企画はありませんでした。討論の企画者、あるいは推進派にとっては自明のことか
もしれませんが、「現在、水力か火力で必要な電力はまかなえるのに、なぜ今原発
を作らなければならないか」という批判が反対派から出て来る現状を考えれば、一
般人の認識は必ずしも十分ではないのではないかと思います。

 ○(これは、上とはちょっと観点が違い、反対派のある意見への反論です。この
種の論点で議論を進めて行くと、このボードのテーマとだんだんずれていく恐れの
あることを懸念しつつ書き込んでいることをご理解下さい。)
「車などと違って、使用をやめたらすぐにその害(事故死など)から解放されると
いうわけにはいかない。放射性廃棄物という、何千年にもわたる重荷を背負うこと
になる。」という批判がありました。しかし、放射性廃棄物は、所在がはっきりし
ており、その正体も、毒性の程度も、ある程度明らかになっています。検出方法も
確立されています。従って、有効な対策を立てることは可能です。
 ところが、所在も毒性の程度や環境への影響も明らかでなく、検出方法も確立さ
れないままで、現在もなお環境中に放出されているものがあります。多種多様な薬
品、化成品、そして廃棄物がそれです。これらについては、現在直ちに使用をやめ
ても、これまでに放出されたものについてはあきらめるほかありません(放射性廃
棄物と同様に、毒性、発ガン性、変異原性が確認されているものも少なくありませ
ん)。その影響は後世まで残ります。もちろん、大きな危険性が確認されたものを
除けば、放出をやめるわけにはいきません。放射性廃棄物と違う唯一の救いは、環
境中(体内を含む)で無毒化される”可能性がある”ことですが、その効果を過信
することは危険です。この点を別にすれば、何千年にもわたる重荷を背負うのは放
射性廃棄物と同じではないでしょうか?
 放射性廃棄物だけを他の有害物と区別し、特別視するのが正当とは思えません。
                  食料を求めて人間同士が殺し合う社会を子孫に残さないために
                  貴重な化石資源のより有効な利用を可能にするために
                  石油に替わる新エネルギー源の開発と実用化の推進に賛成する
                                Martha